住宅設計についての基本スタンス
1.建築は、敷地の読み取りから設計は始まる 建築はどんな建物でも必ずある特定の「場所」に建てら れます。敷地にはある種固有の「磁場」のようなものが あり、二つとして同じ敷地は存在しません。従がってそ こに建築をイメージする時、プランニングから入るので はなく、先ず敷地の特性の「読み取り」から始めるべき であり、この世に唯ひとつしかない敷地に最もふさわし い、「建築というかたちになる以前の建築」を最初にイ メージすることが重要です。それには幾度も敷地に足を 運んで周辺の状況を良く観察し、光や風がどのような通 り方をし、人や車がどのような流れになっているかを理 解することが最初の基本的な方向性を定めるうえで肝要 な作業となります。また建築は長い歴史から捉えれば、 唐突にその敷地に出現するわけでその後の周囲に与える 直接的・間接的影響までもイメージしておく必要があり ます。実はこの「個から全体」を、「全体から個」を見 立てる手法はかつての日本の工匠にとってはごく当たり 前の事でした。 |
2.住宅は「買う」ものではなく「造る」もの 18世紀にイギリスで勃興した産業革命は建築界におい ても激甚なる変革をもたらしコンクリートや鉄という新 しい建築素材の出現と共に全く新しい建築のスタイルが 20世紀初頭の建築家達によって欧米で生み出されまし た。同時に大量消費社会の出現は建築の工業化という側 面も生み出し日本でも高度成長期の追い風に乗って量産 型の工業化住宅が出現し、その後の商業的な大成功から 日本の「文化?」にまで定着しました。TVを中心とす るメディアの影響は計り知れないほど大きく家を建てる なら先ず住宅展示場へ行く、という習慣が我々にはすっ かり身に付いてしまいました。しかしハウスメーカーの 席捲はこれまで日本の木造建築を支えてきた棟梁や各種 職工達の活動領域を片隅に追い込み、同時に伝統として 脈々と受け継がれてきた世界に類例の無い日本独自の精 緻に体系化された木工技術の衰退に拍車を掛けました。 しかし本来我々が持っていた美意識では、建築は商品の ように「買う」ものではなく洗練された技術で以って 「造る」ものではなかったでしょうか? |
3.ハウスメーカーとの「家造り??」 住宅展示場へ行くとその光景に先ず驚かされます。各社 がその意匠や特徴を競った結果、様々なスタイルの建築 群が所狭しと建ち並びその全体像はシュールですらあり ます。日本の伝統が「売り」になると気付いた一部のメ ーカーの商品は別として概ね【無国籍】なデザインで飾 られた、キッチュな意匠ばかりが目に付きます。また地 球環境・高齢者対応など時代に敏感な売り文句を並べ立 てまさに消費者の購買意欲を掻き立てる仕掛けが随所に 散りばめられています。一般的には最も相性の良い会社 を選び敷地の情報や予算、家族構成等を伝えれば何と営 業マン(その家の設計監理をする建築士ではありません) が会社独自のソフトで間取り図を作成し同時に見積書ま でアッという間にこしらえてきます。様々なアドバイザ ーも控えていてスムーズに商談は進捗し予算と間取りさ え合えば何千万円という消費が一気呵成に進みます。1 〜1.5億円という仮想現実のモデルハウスを我が家に 見立てながら?・・・です。 |
4.お互いの思い込みから生じる悲劇 一方、建築家が主導する家造りに全く問題が無いという 訳ではありません。一般的に建築家はクライアントと初 対面という場合が殆どです。クライアントの家に対する 考え、将来計画、空間の嗜好、生活パターン、家族個別 の家に対する考え等、一通りのヒアリングは勿論行うも のの果たして100%理解してから設計していると断言 できるでしょうか?時間的な制約、お互いの善意の思い 込み等、「暗黙の誤解」のもとで設計や施工だけが粛々 と進み建ててから初めてあれっ、という悲劇だけは最低 限、絶対に避けなければなりません。過去の事例写真や 竣工物件をいくら見学したところで上述したように全く 同じ敷地・与条件など有るはずも無く、予算や家族構成も まるで違う訳ですから確認できていない「微細な部分」 が存在することは厳然たる事実です。イメージという実 に心許ない内容の確認だけで大切な決断を迫られる訳で 極論すれば下手をすると良く判らないまま物事だけが進 むというリスクすらあります。 |
5.手に入れてからしか下せない評価 このように建築家の家造りが建売住宅と決定的に違うの は、新車購入のように「現物」をしっかり確認してから 契約するのではなく、「現物」が実は無いにも拘らず 契約するという点です。設計図を作成してから競争入札 で各社見積書を取り、決定した請負業者の本見積書で 工事請負契約を結ぶのですが、その時にもあくまで分厚 い設計図書があるだけで「現物」が有る訳ではないので す。設計してから工事をするという「家造り」の方法の もどかしさは詰まるところ、そこにあると思います。即 ち何千万円という大金を投じる大きな「消費行動」であ るにも拘わらず、クライアントは結局手に入れてからで しか最終的な評価が下せないという点です。一定の工事 方法しか無かった昔と違って、百花繚乱の家の建て方が 存在する現在、ネット情報の氾濫した昨今では余りに選 択肢が多く情報も錯綜していることから、決定者である クライアント自身が混乱してしまうという状況にあるの も少なからず正鵠を得た現実です。 |
6.建築家の造る住宅はクライアントのオーダーによって 初めて成立する 家族の「在り方」は千差万別・多種多様です。まず各家 族にそれぞれの個性があり、さらに家族間の関係にも 様々な「在り方」があります。家はまさにその「個の集 合体」=家族を優しく包み入れる「容れ物」です。マン ションや建売住宅と違って、全く白紙の状態から設計す る事のできる、建築家の造る住宅はまさにクライアント の「オーダー」によって初めて成立するべきものです。 設計するうえでの住宅のベースとなるルールは概ね同じ でも、「家の在り方」や空間の微妙な「テイスト」は本 来、そこに長年暮らすであろうクライアントのイメージ が忠実に投影されるべきです。(但し全てを建築家に 一任するクライアントとの幸福な関係が構築されている 場合は除きますが・・。)少しでもサイズや好みの微妙 に違う衣服がガマンできないように、違和感の感じる 空間で日々生活を強いられることは大変な精神的苦痛に なる、と云ったら果たして大袈裟でしょうか? |
7.住宅を設計する者の責務の重大さ〜自戒をこめて 住宅を設計する者の責務は以上の事柄に限定して考えて みても実に重大です。他にも「安全な構造」、「安全な 室内環境」、「周辺環境への配慮」、更には我々の子々 孫々の為「地球環境への取り組み」など設計者が頭を悩 ませないといけない項目が増加の一途を辿っています。 従がって我々はもっと謙虚と厳粛な姿勢でクライアント ・敷地・資本・環境に真摯に対峙しなければなりません。 これは何件経験してきたかとか、何年実績を積んできた か、とかは殆ど関係がありません。いや逆に経験を積め ばつむほど、この職務の重大さ、社会的責任の重さを 益々実感せざるを得ないというのが正直なところです。 (〜「安全な構造」に対する弊事務所の方針については 建築基準法(施工令第46条)で求められる数値の1.5 倍を標準としたり、その配置(告示1352号)につい ても建物の重心位置に耐力壁の剛心位置を限りなく近づ けたりと、また様々な独自の施工指針を定めたり等して います〜) |
8.クライアントとの意思疎通を重視する姿勢 従がってクライアントとのコミュニケーションを第一と 考え、時間の許される限り設計の段階だけでなく工事監 理の間も同じように丁寧に意思の疎通を図ってゆきたく 思っています。また我々の提案するプレゼンテーション についても色々な表現手段を通して設計内容をご理解頂 けるよう務めています。計画段階でのスタディ模型やイ メージスケッチ等のご提示は勿論、様々な仕上材料につ いては設計中にはサンプルをご提示し、また工事中には 更に大きなサンプルを施工業者の協力を仰いでご提示し たりしています。またイメージしにくい複雑な仕上につ いては他の進行物件の現場をご案内させて頂いたり場合 によっては原寸大の部分模型を施工業者の協力を仰いで 製作してもらう事もあります。設計段階では原則2週間 に一度の打合せ、工事監理の段階では上棟後に定例会議 を開催します。またキッチン等の水廻り設備の選定には 各ショールームに必ず同行させて頂いています。 |
9.建築家としての職能が問われる部分 建築家のなかには自己のブランドイメージを構築してそ れを押し付けるタイプの方がいますが、私はどちらかと 言えばクライアントの発想やイメージの断片からデザイ ンを組み上げ全体を構築する、というスタンスで臨んで きました。このホームページの「WORKS」を見て 頂いてもご理解いただけるかと思いますが、それぞれの 実例は実に多様で、総体として見ればバラバラな印象を 持たれるかも知れません。それは個々の建築で、個々の クライアントの空間イメージを汲み上げてきた結果だか らです。従がってどんな些細なことからでも結構ですの で住宅への思いを大いに語って頂きたいのです。小さな メモ書きでもOKですし、好きな建築写真の切り抜きの ご提示でも良いのです。そこから空間イメージの「種子」 となるべきものを拾い出し、土に植えて水を撒き、大き く元気な樹木=「建築」に育て上げること、それこそが 私の仕事であり、建築家の職能が問われる部分だと考え ています。 |
10.かつて「普請道楽」という言葉がありました かつて日本には「普請道楽」という言葉がありました。 男子にとって普請は最高の趣味(道楽)だという意味です。 数々の歴史上の権力者や富豪は普請を趣味とし、また工 人以上に造詣の深い知識人も存在しました。城の造営に 長けた戦国武将や金閣寺、桂離宮等を建設した支配階級 の貴族達はその代表例です。また一方、「三度普請を経 験しないと良い家は建てられない」という趣旨の言葉も あります。一度や二度では本当の家造りは出来ない、そ れほど奥の深いものである、という意味だと思います。 でも家造りは現代人にとっては一生に一度、経験できる か否かの一大事業です。また何しろ家造りというだけで テンションが高まっているうえ初めての事にばかり次か ら次と遭遇しますので色々神経を使うことも多い筈です。 そこで一度限りの家造りで安心してその醍醐味を味わっ て頂くため長年の経験と技術を以って全面的にサポート させて頂く、それが私の務めだと考えております。 |